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J・T・トーマス (ディフェンシブバック) : ウィキペディア日本語版
J・T・トーマス (ディフェンシブバック)[じぇいてぃーとーます]

J・T・トーマス(J. T. Thomas 1951年4月22日- )はジョージア州メイコン出身のアメリカンフットボール選手。ポジションはディフェンシブバック。ピッツバーグ・スティーラーズでスティールカーテンと呼ばれた強力なディフェンスの一員として、4回スーパーボウル優勝を果たしている〔。
== 経歴 ==
フロリダ州立大学初のアフリカ系アメリカ人選手となった彼は〔、2年次の1970年には最初の試合でFGを2度ブロックした。2年次生のオールアメリカンファーストチームに選出された。1972年にはコーナーバック、セイフティでプレーし、プロフットボール・ウィークリータイム誌からオールアメリカンファーストチームに選ばれた。
1973年のNFLドラフト1巡24位でピッツバーグ・スティーラーズに指名されて入団した。当時スティーラーズのディフェンスバックは弱点となっており、最後の穴を埋めるために指名したとチャック・ノールヘッドコーチに言われている。1年目は主に控えディフェンシブバックとしてプレーした。2年目の1974年から先発選手となり5インターセプト、1TDをあげた。
メル・ブラントとのコンビは強力なもので、1976年にはプロボウル、オールプロ〔に選ばれた。
1978年には血液疾患のためシーズンを全休したが、翌年セイフティとして復帰、このシーズンのみインターセプトをあげられなかった〔。
1980年、開幕戦で足首を負傷した彼はその後控え選手としてプレーした。
1981年、4インターセプトをあげた。1982年、デンバー・ブロンコスにトレードされ〔、1シーズンプレーした後、引退した〔。
元チームメートのラリー・ブラウンとともに1980年代後半、レストラン事業に乗り出した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「J・T・トーマス (ディフェンシブバック)」の詳細全文を読む



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